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ロハスとは?

ロハスと日本の意外な関係

- ソトコト2005年7月号別冊付録チビコトより -

movement

日本で広がるロハス

 日本ではロハスそのものが流行っているといえるでしょう。ロハス・カフェやロハス・レストラン、旅行のパッケージツアーやラジオ番組など、ロハスと名のつくものがあちらこちらに出てきて社会現象にもなっています。アメリカではロハス層をターゲットにしたマーケティングは確立していますが、ロハス・カフェのような店はありません。流行が生まれやすい日本の特徴でもあると思いますが、ロハス層が生まれたきっかけのひとつに、日本人の価値観の変化があると思います。それまで日本人にとってお金が絶対的な価値を占めていましたが、バブルがはじけてそれがもろくも崩れてしまった。その絶対価値を失った喪失感の中、新しい価値を求めていたのです。

 そこにスローライフが登場し、人々は飛びついたのです。これは新しい生活価値として受け入れられたかのように思えましたが、郊外に畑を持って野菜を作ろうというこの思想は、忙しい都市生活者には理想郷でしかなく、限界があった。そういう中で、ロハスが現れたのです。

 ロハスは健康からみた環境を考えることを格好いいと思う、こだわりをもって生きるライフスタイルのことです。ロハスがエコロジーやスローと大きく違うのは、今の自分の生活とのギャップもなく、どんなきっかけからでも今すぐロハスのライフスタイルが送れるということ。会社員でも自営業でもアーティストでも、クルマに乗っている人でも乗っていない人でも、どんな人でもいい。縛りや制約もありません。万人に受け入れられやすいライフスタイルということが、人々に広く浸透した理由だと思います。

 また、ロハスはアメリカのマーケティング用語から派生したものですが、根底には東洋思想が流れているんです。ヨガをしたり、身体にいいものを選んで食べるなど、身体の内側や精神面から美しくなろうとする、まさにこれは東洋思想的発想なのです。ですから、アメリカから日本に、その東洋思想が逆輸入されたということになりますね。

 日本のものは食にしても、すべてがロハス的です。日本の風呂はまさに健康増幅マシーン。畳は夏に涼しく、冬は保温効果もあって一年を通して快適な万能床ですし、日本のトイレはタンクの上から水が出るので、すぐに手を洗うことができて清潔です。どれも自然環境とのつながりをもったものです。日本文化そのものがロハスなので、日本人にとってはひじょうに受け入れられやすいものだったのではないでしょうか。

日本で広がるロハス


ロハス・ウォッシュに気をつけろ!

- ソトコト2005年7月号別冊付録チビコトより -

 マーケッターの立場からいうと難しいのは、世代によってロハスの価値観が異なるということです。日本では現在、マーケティング的に分類すると、4つの層があります。定年退職後の、お金にも時間にも余裕のある中高年層、子どものいるファミリー層、ふだんから暮らしに気を配って生活を楽しむ、センスのある女性たち、スマート・ウーマン層、新しいライフスタイルを格好いいと思う、意識の高い若者。これまでは年齢別に、それぞれの生活状況でどのような商品が売れるのかということを引き出すことができましたが、価値観の多様化によってわれわれも新たなリサーチが必要になっています。

 たとえば、ロハス的な旅といっても、みな異なった価値を求めるのです。中高年層は温泉につかってのんびりする旅、ファミリー層は子どもといっしょに遊べるアウトドアなキャンプなど。提供する側はそれぞれの層に対して、彼らが何を買いたいのか、どういうサービスを受けたいのかということを考えなければいけません。

 そこで、消費者がもっとも気をつけなければいけないのは、ロハス・ウォッシュ商品です。ロハスで洗ったもの、つまり、本当はロハスでも何でもないのに、ロハスと銘打ってあたかもロハス的だと見せかける商品のことです。これから、そういうものがますます増えてくるのではないかと危惧しています。

 ロハス・ウォッシュを見分けるためには、どうしたらいいでしょうか。まず、自分の感性を養うこと。本物に触れてみることです。たとえば、野菜、服、家具、旅など。美しいものを見たり、触れたり、実際に食してみる。すべてのものを試す必要はありません。ワインが好きな人だったら、添加剤の入っていない有機栽培のワインを飲んでみる。ひとつでもふたつでも、どんなものでもいいのです。その原価値に触れることで、偽物がわかるようになるでしょう。


ロハス以前、ロハス以後

ロハス以前の発想は、遠くにある環境問題を、望遠鏡で眺めるようなイメージ。自分の現実とはかけ離れた場所で起きている出来事としてしか、環境を意識していない(Smallself(小さな自分))がそこにいる。ロハスは、まず環境の中に自分が身を置いている(Bigself(大きな自分))を自ら発見することから始まる。同じ望遠鏡をひっくりかえして眺めるだけで、世界はこんなにも親密に自分自身とつながっていることがわかる。ロハスとは、そんな「発想転換」への誘いだ。

こだわりから、つながりへ

Peter D.Pedersen
ピーター・D・ピーダーセン 1967年デンマーク生まれ。コペンハーゲン大学文化人類学部卒業。1992年には文化人類学の研究もかねて、五大陸22カ国を廻る。その後、東京コンサルタント会社、MXテレビニュースキャスター等を経て、2000年に環境コンサルティングを手がける「イースクエア」を設立。今春、アメリカでロハス消費者調査を行うNMI(The Natural Marketing Institute)と共同で、日米合同の調査を実施。
 さて、あなたがもしロハスについて興味を持ったならば、ここで質問です。「スモール・セルフで生きていきますか? それともビッグ・セルフで生きていきますか?」。スモール・セルフとは、今いるこの場所だけの自分でいいという人たち。ビッグ・セルフとは、未来や世界につながっていくライフスタイルをおくる人たち。どちらが格好いい生き方かということですね。

 コンビニエンスストアなどに募金箱が置いてありますよね。わたしはマイ・ルールとして、その箱を見たら財布に入っている10円玉以下のお金を入れるようにしているんです。たいした金額ではありませんが、平均すると1日に3回寄付をしています。つまり、世界とつながる瞬間が1日に3度あるのです。

 生活のすべてをロハスにする必要ありません。無理をしないで、生活の中で「ひとこだわり」を持つ。何か自分にできること、小さなことから始めようという意識を持つことが大事なことです。そして、「最高のエゴイストは最高のエコイストだ」と、わたしは思っています。自分にとって、一番愛おしいものから考えることが大切だということです。愛おしいものが自分だとすると、どういうものを食べるのか、どういうものを肌につけるのかなどと考えてみる。子どもが自分にとってもっとも愛おしい存在であれば、その子の将来を考えて、何を食べさせたらいいか、どういう家に住むのがいいのかということなどを考えてみる。

 利己主義的な視点で愛おしいものを考えていけば、それが地球や環境、そして未来につながっていくのです。わたしはロハスという考え方が、今後も長く続いていくと思っています。ロハスには、今、生きているわれわれのニーズを満たしながらも、未来の世代の可能性を壊さないサステナブルな考えがあるのです。



ロハスを超える日本の文化価値の創造へ

- ソトコト2005年7月号別冊付録チビコトより -

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ロハスを超える日本文化の創造へ

文化、科学、医療。暮らしの基盤を支える分野でロハスな研究、活動を続けている専門家が、それぞれの立場から見える、考える、感じるロハスを語る。

当たり前こそ「有り難い」

竹村真一
たけむらしんいち●文化人類学者。1959年大阪生まれ。東京大学大学院文化人類学博士課程終了。京都造形芸術大学教授。ウェブサイト「センソリウム」や「100万人のキャンドルナイト」などをプロデュース。「宇宙樹」(慶応大学出版会)、「呼吸するネットワーク」(岩波書店)など著書多数。
 「枯木に花咲くより、生木に花咲くに驚け」──江戸時代の哲学者、三浦梅園の言葉です。僕にとっての“ロハス”の核心は、この言葉に表現されています。 誰でも枯木に花が咲いたら驚くけど、実はそれ以上に驚くべき奇跡が、日々身のまわりで起こっているじゃないか。春になって花が咲くのも、また私たちのからだの細胞や分子が毎日すごいスピードで入れ替わりながら、一見なにも変わらないように昨日と同じ私でいられるのも、考えてみれば驚くべきことですよね。

 たとえば自分の持っているクルマや家具が、知らない間に日々パーツが入れ替わって、つねに新しくなっていたとしたら驚くでしょ? あるいはその一部が突然「花」となって咲いたりしたら……。でも生命というのは、それを当たり前のように毎日やってのけているわけです。当たり前すぎて、そのすごさに気づかないだけ。だがら、ありふれたことが実は文字どおり「有り難い」、奇跡のようなことなんです。
 本当に大切なのは、ただ単に健康や環境に気を使うというだけでなく、こういうありふれた風景や出来事のなかに驚くべき知性が働いているという感覚を、一人ひとりが研ぎ澄ませていくことじゃないでしょうか。世界を見る「解像度」を上げるというか……。

 もちろん地球環境が大変なのは確かだけど、ただそのために無駄をなくそう、温暖化を防止しようというだけで終わらない、もっと高い文明の価値を見出していく「途上」に私たちはいるのだと思っています。
 咲くはずのない花が咲いたというニュースに異変を感じる感性も大切だけど、では当たり前に咲くはずの花が咲くだけでは何の驚きもないのか? というと、ある意味ではそういう感性の欠如が、咲くはずのない花を咲かせているとも言えるわけですよね。

 だから「ロハス」や「エコ」という言葉も、まだ本当に我々が目指すべき新しいライフスタイルの核心を表現しえていない、途上の言語だと思っています。


日本文化のなかにロハスの種子を見る

 とはいえ、こういう感覚は何も特別なものではなく、実は身近な営みのなかに隠れてもいます。たとえば「花見」。

 サクラの「サ」は山の神、山の生命エネルギーですね。それが春になるとひたひたと里に降りてきて、田の神になって稲を実らせる。それが降り来るプロセスが“サオリ”、その季節が“サツキ”、そしてその途中で山と里の中間地点でトランジットする場所、サの神が宿るくら座のことを“サクラ”という。つまり、サクラという小さな花のなかに、大きな宇宙の循環を見ていたわけです。

 このように日本の文化遺伝子、ライフスタイルのなかには、未来のロハス文化の種子として、もっと地球全体に贈与すべき貴重なソフトウェアがたくさんあるようにも思います。

本当の価値を見つける時代

たとえば「多様性を担保する」「多元的なものを共存させる」という日本特有の文化スタイルも、エコロジカルでサスティナブルな発想として今後とても重要な意味を持ってくるでしょう。

 実際、漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベットという、起源もその背景にある言語体系もまったく異なる4つの文字を見事に併存させて使いこなす言語なんて、世界中見てもどこにもありません。まさに“やおよろず八百万”の文化ですね。

 生命科学や複雑系の研究からも、「多様性の共生」ということがサスティナブルなシステムの条件だということがわかってきました。たとえば病原性大腸菌O157が不潔な場所でなく、むしろ清潔な所で蔓延したという事実。

 普通、自然環境や人の腸内にはつねに多様な菌がゆるやかに共生していて、O157のような新参者が突然繁殖しようとしても不可能です。しかし抗生物質や抗菌グッズで無菌状態にされた環境では、特定の病原菌の暴走に歯止めをかけるものが何もないので死者を出すに至る。

 ここでのポイントは、「多様性」、あるいは「多元の共生」こそが真の健康のバロメーターであり、安全・安心の担保だということです。

 人間の浅知恵は、つい善玉と悪玉を二元論で区別し、「悪」を退治すればよいと考える。けれども自然界には本来、善玉も悪玉もないんです。むしろ善悪を単純に区別せず、清濁あわせ呑んでバランスをとる──いわば誤りを許容し、多様性を保持するやり方こそが「自然の叡智」なんですね。

 Health(健康)あるいはHeal(癒し)という言葉も、もともと「全体」を意味するWholeからきている。つまり病気や悪を排除した状態が健康なのでなく、むしろバランスがとれていること、少々のゆらぎや誤りも許容しうる全体性を持っていることが、本当の「健康」なわけです。

 となると、LOHASでいうHealthやSustainabilityというのも、少し気をつけなくてはいけない。ITとマネーとファーストフードで画一化された世界がとても脆弱で無味乾燥なのと同様、硬直化したエコ・ファシズムや健康強迫もとても貧しく危うい、非サスティナブルな世界です。
 その意味で“やおよろず文化”の日本から、「寛容」とやわらかい「強さ」を備えた未来の地球文化のOSを提案していきたいものです。



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