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ロハスを超える日本の文化価値の創造へ

- ソトコト2005年7月号別冊付録チビコトより -

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ロハスを超える日本文化の創造へ

文化、科学、医療。暮らしの基盤を支える分野でロハスな研究、活動を続けている専門家が、それぞれの立場から見える、考える、感じるロハスを語る。

当たり前こそ「有り難い」

竹村真一
たけむらしんいち●文化人類学者。1959年大阪生まれ。東京大学大学院文化人類学博士課程終了。京都造形芸術大学教授。ウェブサイト「センソリウム」や「100万人のキャンドルナイト」などをプロデュース。「宇宙樹」(慶応大学出版会)、「呼吸するネットワーク」(岩波書店)など著書多数。
 「枯木に花咲くより、生木に花咲くに驚け」──江戸時代の哲学者、三浦梅園の言葉です。僕にとっての“ロハス”の核心は、この言葉に表現されています。 誰でも枯木に花が咲いたら驚くけど、実はそれ以上に驚くべき奇跡が、日々身のまわりで起こっているじゃないか。春になって花が咲くのも、また私たちのからだの細胞や分子が毎日すごいスピードで入れ替わりながら、一見なにも変わらないように昨日と同じ私でいられるのも、考えてみれば驚くべきことですよね。

 たとえば自分の持っているクルマや家具が、知らない間に日々パーツが入れ替わって、つねに新しくなっていたとしたら驚くでしょ? あるいはその一部が突然「花」となって咲いたりしたら……。でも生命というのは、それを当たり前のように毎日やってのけているわけです。当たり前すぎて、そのすごさに気づかないだけ。だがら、ありふれたことが実は文字どおり「有り難い」、奇跡のようなことなんです。
 本当に大切なのは、ただ単に健康や環境に気を使うというだけでなく、こういうありふれた風景や出来事のなかに驚くべき知性が働いているという感覚を、一人ひとりが研ぎ澄ませていくことじゃないでしょうか。世界を見る「解像度」を上げるというか……。

 もちろん地球環境が大変なのは確かだけど、ただそのために無駄をなくそう、温暖化を防止しようというだけで終わらない、もっと高い文明の価値を見出していく「途上」に私たちはいるのだと思っています。
 咲くはずのない花が咲いたというニュースに異変を感じる感性も大切だけど、では当たり前に咲くはずの花が咲くだけでは何の驚きもないのか? というと、ある意味ではそういう感性の欠如が、咲くはずのない花を咲かせているとも言えるわけですよね。

 だから「ロハス」や「エコ」という言葉も、まだ本当に我々が目指すべき新しいライフスタイルの核心を表現しえていない、途上の言語だと思っています。


日本文化のなかにロハスの種子を見る

 とはいえ、こういう感覚は何も特別なものではなく、実は身近な営みのなかに隠れてもいます。たとえば「花見」。

 サクラの「サ」は山の神、山の生命エネルギーですね。それが春になるとひたひたと里に降りてきて、田の神になって稲を実らせる。それが降り来るプロセスが“サオリ”、その季節が“サツキ”、そしてその途中で山と里の中間地点でトランジットする場所、サの神が宿るくら座のことを“サクラ”という。つまり、サクラという小さな花のなかに、大きな宇宙の循環を見ていたわけです。

 このように日本の文化遺伝子、ライフスタイルのなかには、未来のロハス文化の種子として、もっと地球全体に贈与すべき貴重なソフトウェアがたくさんあるようにも思います。

本当の価値を見つける時代

たとえば「多様性を担保する」「多元的なものを共存させる」という日本特有の文化スタイルも、エコロジカルでサスティナブルな発想として今後とても重要な意味を持ってくるでしょう。

 実際、漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベットという、起源もその背景にある言語体系もまったく異なる4つの文字を見事に併存させて使いこなす言語なんて、世界中見てもどこにもありません。まさに“やおよろず八百万”の文化ですね。

 生命科学や複雑系の研究からも、「多様性の共生」ということがサスティナブルなシステムの条件だということがわかってきました。たとえば病原性大腸菌O157が不潔な場所でなく、むしろ清潔な所で蔓延したという事実。

 普通、自然環境や人の腸内にはつねに多様な菌がゆるやかに共生していて、O157のような新参者が突然繁殖しようとしても不可能です。しかし抗生物質や抗菌グッズで無菌状態にされた環境では、特定の病原菌の暴走に歯止めをかけるものが何もないので死者を出すに至る。

 ここでのポイントは、「多様性」、あるいは「多元の共生」こそが真の健康のバロメーターであり、安全・安心の担保だということです。

 人間の浅知恵は、つい善玉と悪玉を二元論で区別し、「悪」を退治すればよいと考える。けれども自然界には本来、善玉も悪玉もないんです。むしろ善悪を単純に区別せず、清濁あわせ呑んでバランスをとる──いわば誤りを許容し、多様性を保持するやり方こそが「自然の叡智」なんですね。

 Health(健康)あるいはHeal(癒し)という言葉も、もともと「全体」を意味するWholeからきている。つまり病気や悪を排除した状態が健康なのでなく、むしろバランスがとれていること、少々のゆらぎや誤りも許容しうる全体性を持っていることが、本当の「健康」なわけです。

 となると、LOHASでいうHealthやSustainabilityというのも、少し気をつけなくてはいけない。ITとマネーとファーストフードで画一化された世界がとても脆弱で無味乾燥なのと同様、硬直化したエコ・ファシズムや健康強迫もとても貧しく危うい、非サスティナブルな世界です。
 その意味で“やおよろず文化”の日本から、「寛容」とやわらかい「強さ」を備えた未来の地球文化のOSを提案していきたいものです。


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